浮世絵図鑑 (歌川国芳 - 木曽街道六十九次之内)は、日本を代表する浮世絵師「歌川国芳」の浮世絵を楽しめるアートギャラリーアプリです。
日本の代表的な浮世絵師、歌川 国芳(うたがわ くによし)の代表作「木曽街道六十九次之内」70枚の作品を楽しめます。
「木曽街道六十九次之内」は、江戸時代嘉永5 年(1852)に製作された中山道の宿場一つに一図当てて制作した揃物です。全72 枚。街道の風景を描いたコマ絵を画面左上に配し、宿場名やその所在地から連想される戯曲や説話等の登場人物を描いた揃物です。
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歌川 国芳(うたがわ くによし、1798年1月1日(寛政9年11月15日) - 1861年4月14日(文久元年3月5日〉)は、江戸時代末期の浮世絵師です。画号は一勇斎。
江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人で、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した絵師です。
代表作「木曽街道六十九次之内」70枚は中山道の宿場一つに一図当てて街道の風景を描いたコマ絵を画面左上に配し、宿場名やその所在地から連想される戯曲や説話等の登場人物を描いた揃物シリーズ物で当時ベストセラーとなりました。
江戸時代末に活躍した浮世絵師 歌川国芳は現代で言うと超売れっ子イラストレーターです!
その浮世絵の躍動感、迫力、ユーモアのセンス、構図の美しさ、どれをとっても非常によくできており、150年を経た今でも十分楽しめる作品に仕上がっています。
浮世絵初心者の方もコレクターの方も楽しめます!!
伝統的な日本芸術をお楽しみください!
作品名 一覧
「一」「日本橋 足利頼兼鳴神勝之助浮世渡平」
「二」「板橋 犬塚信乃 蟇六 左母二郎 土太郎」
「三」「蕨 犬山道節」
「四」「浦和 魚屋團七」
「五」「大宮 安倍宗任」
「六」「上尾 三浦の高雄」
「鴻巣 武蔵守師直」
「九」「熊ヶ谷 小次郎直家」
「十」「深谷 百合若大臣」
「十一」「本庄 白井權八」
「十二」「新町 嶽門庄兵衛 黒舩忠右エ門」
「十三」「倉賀野 自来也」
「十四」 高崎 此村大炊之介
「十五」「板鼻 御曹子 牛若丸」
「十六」「安中 清玄」
「十七」「松井田 山姥 松井民次郎」
「十八」「坂本 五条坂」
「十九」「輕井澤 鎌田又八」
「廿」「沓掛 黄石公 張良」
「廿一」「追分 おいは 宅悦」
「廿二」「小田井 寺西閑心」
「廿三」「岩村田 大井子田畑を潤す」
「廿四」「塩名田 鳥井又助」
「廿五」「八幡 近江小藤太 八幡三郎」
「廿六」「望月 怪童丸」
「廿七」「芦田 あらい丸 女月尼」
「廿八」「長窪 お七 吉三」
「廿九」「和田 和田兵衛」
「卅」「下諏訪 八重垣姫」
「三十一」「塩尻 高木虎之助」
「三十二」「洗馬 武藏坊弁慶 土佐坊昌俊」
「三十三」「本山 山姥」
「三十四」「熱川 武内宿祢 弟甘美内宿祢」
「三十五」「奈良井 おろく 善吉」
「三十六」「藪原 陶春賢」
「三十七」「宮の越 大塔宮」
「三十七」「福島 浦嶋太郎」
「三十九」「上松 江田源三」
「四十」「須原 業平 ニ條后」
「四十一」「野尻 平井保昌 袴埀保輔」
「四十一」「三戸野 美止野 小太郎」
「四十三」「妻籠 安倍保名 葛葉狐」
「四十四」「落合 久米仙人 晒女」
「四十五」「馬籠 竹林定七」
「四十六」「中津川 堀部の妻 同娘」
「四十七」「大井 斧定九郎」
「四十八」「武佐 宮本無三四」
「四十八」「大久手 一ッ家老婆」
「四十九」「細久手 堀越大領」
「御嶽」「惡七兵衛景清」 「五十」
「伏見」「常磐御前」 「五十一」
「太田」「藪医了竹」「天川屋義平」 「五十二」
「鵜沼」「与右エ門」「女房累」 「五十三」
「加納」「坊太郎乳母」 「五十四」
「河渡」「旅坐頭」 「五十五」
「美江寺」「紅葉狩」 「五十六」
「赤坂」「光明皇后」 「五十七」
「垂井」「猿之助」 「五十八」
「關ヶ原」「放駒蝶吉」「濡髪蝶五郎」 「五十九」
「今須」「曽我兄弟」 「六十」
「柏原」「笠屋三勝」 「六十一」
「醒ヶ井」「金井谷五郎」 「六十二」
「番場」「歌之助」「吃又平」 「六十三」
「鳥居本」「平忠盛」「油坊主」 「六十四」
「高宮」「神谷伊右エ門」 「六十五」
「越川」「鷺地平九郎」 「六十六」
「草津」「冠者義高」 「六十七」
「守山」「達磨大師」 「六十八」
「大津」「小万」 「七十」
「京都」「鵺大尾」
木曽海道六十九次之内(広重と英泉)
歌川広重
別名安藤重右衛門。江戸の定火消同心の家に生まれる。15歳で歌川豊広に入門、当初、役者絵や美人画を描く。35歳のとき『東都名所』を発表、風景画を転出、その後、描いた『東海道五十三次』は人気を呼び、浮世絵師としての地位を確立。
渓斎英泉
江戸後期を代表する天才的な浮世絵師。江戸に武士の子として生まれる。葛飾北斎に私淑、浮世絵を描き始める。喜多川歌麿の清楚な美人画に対して、英泉の妖艶な美人画は江戸庶民の人気を呼んだ。また英泉の破天荒な生き様が江戸っ子に気に入られた。
木曽海道六十九次之内
『木曾海道六拾九次之内』(木曾海道とは中山道の事。当初、英泉は『木曾街道』としていたが、途中から引き継いだ広重が『木曾海道』とした。)は、叙情的な風景画の広重と官能的な美人画の英泉という作風の異なる江戸後期の代表的な浮世絵師による連作。
天保6年 (1835)、『木曾海道六拾九次之内』は英泉が日本橋から描き出しました。しかし、表現が硬く、洒脱を好む江戸っ子には受け入れられませんでした。そこで版元も保永堂から伊勢利に移り、絵師も『東海道五十三次』を発表、人気絵師となっていた広重を起用、引き継がせました。
結果、69宿場70図(中津川宿2図)と日本橋を加えた71図を完成させました。そのうち、英泉が24図、広重が47図を描きました。
浮世絵データは、代表作「木曽街道六十九次之内」70枚の作品が含まれています。